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関西詩歌会「しやうける」

関西圏の若手俳人を中心とした勉強会のブログ。勉強会の報告や読書録などをまとめていきます。(Schaukel:ドイツ語でぶらんこ)

【自己紹介】関西詩歌会「しやうける」はどんな団体か

   皆様はじめまして、関西詩歌会「しやうける」です。

   ブログ開設にあたって、まずはこの団体がどのような団体なのかを、団体設立の動機を含めて説明させていただきます。

 

   本団体は詩論・評論を読むことを目的に創られました。 本団体の母団体は関西俳句会「ふらここ」で、こちらでは句会・吟行を主に毎月数回集まり、俳句の交流をしております。 本団体の参加者も、もとは「ふらここ」に参加している若手俳人たちです。

 「しやうける」では次の点を目標にしようと考えています。

  1. 詩論の収集とその輪読
  2. 詩論史を考えてみる(このさい基準となる観点は、年代・時期、師弟、結社、用語法 等々)
  3. 実際にその詩論で作品がどう読めるかを、どこかしらで実践してみる
  4. 詩論の読書案内を作る

 これらの目標がかなり欲張りなのはわかっていますが、有志でやれるだけやってみたいと思っています(研究者が出してる資料や単純に古い資料は、絶版だったり、資料へのアクセスに制限があったりしますが、論文等はできるかぎり活用していくつもりです)。

 

 以下、本団体がこのような目的をもった動機について、説明させていただきます(興味のない方は最後の連絡先の部分まで飛ばしていただいても構いません)。

  句会・歌会では自分の作品が評価されると同時に、他人の作品を評価しなければなりません。ですが、作品の受け取り方は千差万別で、選評をつうじて各人の俳句・短歌観が如実にあらわれることがあります。作品を評価するのはひとつの作法・読解法にこだわってるとどうしても難しい場合があるので、様々な作法や評価軸があるのは貴重です。しかし、個々の評価軸はときとして対立しています。作品はまず他人の眼にふれて評価されるべきで、句会・歌会の選評はその評価の場であるというのに、そもそも評価する言葉自体が右往左往していて、作品の評価ができないことになりかねません。ほんとにこのままでいいのか、そんな素朴な疑問が本団体の動機にあります。(結社の句会・歌会ではそんなこともないかと思いますが)。

   こうした読みの多様さが成り立つのは俳句・短歌が宗匠風のつまらない世界ではないことを表していますが、一方で、これら作法・評価軸の橋渡しや調合ができなければ、作品はいつになっても評価ができない「漂流物」になってしまいます(過去の作品があらたに評価されたり、俳句史・短歌史・表現史の試みがいまだにあるのは、こうした批評の再生産の証左だと思っています)。

   では、作品を拾い上げて、落ち着きどころをひとつ決めてやろうと思うわけです。しかし、そのひとつを(場合によっては二、三地点を)どう決めればよいのか。漂流もまた作品のつねだと言えばそれも一面では納得できますが、滅多矢鱈に読んでやればよいわけでもありませんし、読解史がそれなりにあるのなら、それを踏まえるべきだと思います。そこまでいって初めて、読みは自由であっていいと思います。要するに、作品ひとつひとつへの個別対応の中で、それをどう読むのか妥当だといえるのか、いくつの妥当な読みができるのか、これを一度ぐらい真面目に考えたっていいだろう、というのが「しやうける」の試みです(少なくとも発起人の意図としては)。このことは、作品の意義をひとつに確定するだとか、「正しい読み」などという横暴なことをやろうというのではなく、やろうとしているのは、「読み」の乱立・「読み」のアナーキズムがあれば、それを整地してみたい、ということです(これら読みの「自主独立性」は下手すれば作品への、ひいては作者への誹謗中傷になりかねません。なのでこの整地は、論理的というよりは倫理的とでも言ったほうが適切です)。

   俳句・短歌は定型詩です。各々でいままで醸造してきた読みの作法・道具立てがあります(例えば俳句での「切れ」)。こうした道具をもっと整合させることが出来れば、(言語学での「メタ言語」のような)作品への準備的な共通認識が出来上がります。あとはそれらをどう使うかです。こうした試みでは、定型詩は自由散文詩よりもとっかかりを得やすいはずです。またこうした整地ができれば、一種のカウンターカルチャーとしての散文詩を捉えるのも容易になると思います。

 

   長々と、しかも駄文を書いてしまいましたが、「しやうける」はこんな団体です。基本活動は、手に入った詩論を輪読するのがメインで、気長にのんびりと読んでいます。参加者はいつでも大歓迎です。

   はじめに書いたように、本団体は俳人たちで構成されています。余力があれば散文詩や広く文学理論にも手を出してみたいので、様々な人に参加してもらいたいです(京都付近という地理的制約があるのは勘弁してもらいたいです) 。

 

   参加希望等のご連絡はTwitterアカウント(@wasistgedicht)へのDMか、〈wasistgedicht@gmail.com〉へお願いします。